ちいさき花巻頭

タグ:園長コラム

2019年12月園長コラム

人の心は、幸せ・真理・愛に満たされるのを待ち望んでいます。

七五三の時に同じような話しをしましたが、もう一度皆さんにクリスマスに向かってメッセージを送ります。

人は誰でも幸福を求めて生きています。人生の目的は幸福を感じることであり、幸福を求めずに生活している人はひとりもないはずです。食べること、富を得ること、友だちと一緒にいること、本を読むこと、映画を観ること、結婚すること、すべては何かの楽しみや幸せを感じたいと思うからこそするのです。なぜなら幸せの望みは人の心に刻まれて、取り消すことができないからです。人は誰でも一時的な幸せを望んでいません。終わりのない幸せだけが本物の幸せなのです。

また、人は誰でも色々な事柄に対して好奇心を持っています。例えば「宇宙はどうやって出来たか?」という大きな疑問を抱きます。自然研究の発展によって現代の人々は色々なことがわかるようになりましたが、自然を研究すればするほど、自然に秘められた謎を解くのではなく、反対に知りたいことが増えていくのです。探求が進む段階で一つの目標が達成されると、それはまた別の目標へと視野を広げることになります。つまり、その到達点はより先に向かってさらに前進することになるのです。アインシュタインが亡くなる数日前のイタリアのある新聞に載せられたインタビューでこのように言っています。「計り知れない神秘を認めない者は、学者にさえなることができない。」

人は誰でも幸せ・真理・愛を望んでいる心を持っていることを忘れてはいけません。両親は子どもが求めている愛と幸せを与えるという使命を果たすべきです。また、本当のことを理解する(=真理)ために理性を鍛えるように育てるべきです。

聖園幼稚園 園長 アルナルド・ネグリ

0

2019年11月園長コラム

涼しげな秋空に変わり、木々の葉も黄色や赤に変わりはじめています。

11月にローマ法王フランシスコが日本を訪れ、24日には広島の平和公園で話しをされる予定です。1981年にヨハネ・パウロ2世の来日以来、日本の歴史の中で2回目です。ローマ法王とは聖ペトロの後継者でキリストの代わりに教会を導く方です。イエスがその弟子たちの中でシモンを選んで、彼にペトロつまり”岩”という名前を付けました。使徒ペトロはイエスの死と復活のあとで、福音を述べ伝えるために、ローマへ行き、そこで紀元後67年に十字架につけられました。その遺体はバチカンと呼ばれるローマの地区にある墓に埋葬されました。313年に宗教の自由が認められた後、その場所にサンピエトロ寺院が建てられました。つまり、現在のバチカン市国のサンピエトロ寺院です。ペトロの後継者であるローマ法王は、それぞれの時代にイエスの教えを振り返り、その正しい解釈を伝えたりするのです。

ヨハネ・パウロ二世は広島で “戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。”と言って、平和アピールを始めました。続けて “過去を振り返ることは、将来に対する責任を担う事です…平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のりが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです…ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行う大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。”と。

この言葉を心にとめて、子を持つ親として「平和」という価値観を育む大切さを思い、11月に訪日されるフランシスコ教皇様のお言葉を待ちましょう。

園長 アルナルド・ネグリ

0

2019年06月園長コラム

6月になって、夏が近づくと田んぼに植えられた稲が伸びて、園庭に子どもたちが植えたピーマンやトマトの苗の枝もしっかりして花を咲かせています。春に咲いていた多くの花はしおれてしまいましたが、かわりに実がつき始めた枝が見られるようになりました。

6月には、教会でイエスさまのみ心の祭日を迎えます。(今年は6月28日にあたります)。み心とは、わたしたちを悪から救い出すために十字架で刺しつらぬかれたイエスさまの心のことです。ここに神様の愛があるのです。つまり、わたしたちを悪から救い出すために、イエスさまが自分のいのちを捧げてくださったのです。イエスさまは神様の心を教えるために、「放蕩息子」のたとえ話を語りました。

お父さんの財産を持って出かけた息子が、遠くに行ってそれを無駄使いしてしまった後で家に帰ってみると、お父さんは、いなくなってしまった大事な子どもに再会できたので、大いに喜んで宴会を開きました。

このたとえ話から、神様はわたしたち一人ひとりを唯一の子どもとして愛してくださり、それぞれの幸せを望んでくださる方だということがわかります。

また6月は、父の日を迎える月です。父である神様の姿を思いながら、父の日を迎えましょう。父親にとって、子どもはそれぞれ唯一の存在です。たとえ多くの子どもがいるとしても、一人ひとりが自分の名前を持っている唯一のいのちです。お父さん達には人間としての弱さや限界があるかもしれませんが、本来神様のような心を持っているのです。父の日に、お父さんに感謝の気持ちを伝えることはふさわしいことだと思います。

子どもたちは親の愛情に満ちたあたたかい環境の内で立派に成長することができるのです。

園長 アルナルド・ネグリ

0