ちいさき花巻頭

園長コラム

2020年01月園長コラム

あけましておめでとうございます。1月1日は新しい年のはじまりですが、なぜこの日は一年のスタートとして決められたでしょうか? それは、西暦でイエス様の誕生から年を数えるようになったときに、クリスマスに合わせてちょうど8日目(旧約聖書で割礼とともに赤ちゃんに名前を授ける日である)である1月1日を新しい年の始まりとしたのです。

1月1日は教会で「神の母聖マリア」の祭日になっており、世界平和のための祈りの日としても定められています。教皇フランシスコは11月24日に広島を訪れたときのメッセージの中で “平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」にすぎなくなると確信しています”といわれました。また、「神の母聖マリア」という言葉はクリスマスの本当の意味を表しています。もちろん永遠の神様にお母さんはいるはずはありません。けれども人間として生まれた永遠の神であるイエス様には母がいます。言い換えると「神の母聖マリア」を通して人類の歴史の中で最も決定的であり唯一の出来事を伝えているのです。神様が人間としてお生まれになり、わたしたちにとって遠く離れた存在ではなく、身近で親しい友となってくださったのです。

これから始まる新しい一年もまた子供たちの成長のために大切な一年となるでしょう。両親や先生に導かれて、イエス様とマリア様の保護のもとに、子供たちと家族のみなさんに豊かな成長の恵みがありますように、また全世界がまことの平和に恵まれますように祈っています。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年12月園長コラム

人の心は、幸せ・真理・愛に満たされるのを待ち望んでいます。

七五三の時に同じような話しをしましたが、もう一度皆さんにクリスマスに向かってメッセージを送ります。

人は誰でも幸福を求めて生きています。人生の目的は幸福を感じることであり、幸福を求めずに生活している人はひとりもないはずです。食べること、富を得ること、友だちと一緒にいること、本を読むこと、映画を観ること、結婚すること、すべては何かの楽しみや幸せを感じたいと思うからこそするのです。なぜなら幸せの望みは人の心に刻まれて、取り消すことができないからです。人は誰でも一時的な幸せを望んでいません。終わりのない幸せだけが本物の幸せなのです。

また、人は誰でも色々な事柄に対して好奇心を持っています。例えば「宇宙はどうやって出来たか?」という大きな疑問を抱きます。自然研究の発展によって現代の人々は色々なことがわかるようになりましたが、自然を研究すればするほど、自然に秘められた謎を解くのではなく、反対に知りたいことが増えていくのです。探求が進む段階で一つの目標が達成されると、それはまた別の目標へと視野を広げることになります。つまり、その到達点はより先に向かってさらに前進することになるのです。アインシュタインが亡くなる数日前のイタリアのある新聞に載せられたインタビューでこのように言っています。「計り知れない神秘を認めない者は、学者にさえなることができない。」

人は誰でも幸せ・真理・愛を望んでいる心を持っていることを忘れてはいけません。両親は子どもが求めている愛と幸せを与えるという使命を果たすべきです。また、本当のことを理解する(=真理)ために理性を鍛えるように育てるべきです。

聖園幼稚園 園長 アルナルド・ネグリ

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2019年11月園長コラム

涼しげな秋空に変わり、木々の葉も黄色や赤に変わりはじめています。

11月にローマ法王フランシスコが日本を訪れ、24日には広島の平和公園で話しをされる予定です。1981年にヨハネ・パウロ2世の来日以来、日本の歴史の中で2回目です。ローマ法王とは聖ペトロの後継者でキリストの代わりに教会を導く方です。イエスがその弟子たちの中でシモンを選んで、彼にペトロつまり”岩”という名前を付けました。使徒ペトロはイエスの死と復活のあとで、福音を述べ伝えるために、ローマへ行き、そこで紀元後67年に十字架につけられました。その遺体はバチカンと呼ばれるローマの地区にある墓に埋葬されました。313年に宗教の自由が認められた後、その場所にサンピエトロ寺院が建てられました。つまり、現在のバチカン市国のサンピエトロ寺院です。ペトロの後継者であるローマ法王は、それぞれの時代にイエスの教えを振り返り、その正しい解釈を伝えたりするのです。

ヨハネ・パウロ二世は広島で “戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。”と言って、平和アピールを始めました。続けて “過去を振り返ることは、将来に対する責任を担う事です…平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のりが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです…ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行う大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。”と。

この言葉を心にとめて、子を持つ親として「平和」という価値観を育む大切さを思い、11月に訪日されるフランシスコ教皇様のお言葉を待ちましょう。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年09月園長コラム

 2学期が始まってすぐ9月16日は敬老の日です。この社会の中や、またわたしたちの身近にいるお年寄りについて考える良い機会だと思います。聖書には、こう書かれています。 

 “白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。” (レビ記19,32)“健全な判断は年輪を重ねた者に、確かな勧告は長老にふさわしい。知恵は年を経た者たちに、理解力と忠告は尊敬すべき年寄りにふさわしい。豊富な経験こそ老人の冠であり、主を畏れることこそ彼らの誇りである。”(シラ書25,4-6)と。そしてまた、年齢と共に体力も能力も衰えてしまうという現実を受け止め理解し、高齢者に対し尊敬する気持ちを持って優しく接するようにつぎのようにも書いています。

 “子よ、年老いた父親の面倒を見よ。生きている間、彼を悲しませてはならない。たとえ彼の物覚えが鈍くなっても、思いやりの気持ちを持て。自分が活力にあふれているからといって、彼を軽蔑してはならない。主は、父親に対するお前の心遣いを忘れず、罪を取り消し、お前を更に高めてくださる。父を見捨てる者は、神を冒?する者、同じく母を怒らせる者は、主に呪われている者。”(シラ書3,12-14/16)

 このように子供たちにも、幼いときから尊敬や思いやる心を育てていきたいと思います。おじいさんやおばあさん、もしかしたらひいおじいさんやひいおばあさんが一緒に住んでいるご家庭もあれば、離れた所に別々に住んでいるご家庭もあります。離れて暮らしていても、子どもたちに会う機会やあるいは話す機会を作ることは大切なことだと思います。なぜなら色々な年齢の人々との関わりを持つことが子どもたちの成長に役に立つからです。聖園幼稚園の子どもたちは、敬老の日に手作りのプレゼントを送ります。それをきっかけになかなか会うことのできないおじいちゃんおばあちゃんと電話で話したり、直接会ってその成長を共に喜んでいただければと思います。特別に暑かった今年の夏はまだまだ続きそうですが、体調を十分整えてみんなそろって元気に2学期を迎えることができますように、お祈りしています。   

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年08月園長コラム

 去年7月の大雨の日から1年たちました。ちょうど7月7日に改修を済ませた家の祝福のためにブラジル人の家族に呼ばれて三原の本郷町に行きました。近くでは数年前に新しく建築されたであろう何軒もの家も被災していました。その辺りは土地が低く洪水の時には2メートルを超えてすべての家の1階の天井近くまで水が上がってきたそうです。何軒かの家はいまだに被災したまま放置されていました。

 天災は人間の弱さと、人間や社会の限界を私たちの目の前に突きつけます。この地域でもまた被災した他の地域でも多くのボランティアの協力によって復興が進んでいます。ここに、人々にとって「助け合う」ということの大切さがはっきりと示されています。人は一人で生きることができません。私たちにとっては、生きるためにそれぞれの力を合わせることが必要です。イエス様は教えの中で「互いに愛し合いなさい」、「人を許しなさい」、「与えなさい」と強調しています。人にとってお互いに受け入れることや、尊敬しあうことはみんなの生活を支えるために欠くことの出来ないものだからです。だから子どもたちを育てる上でこの価値観を伝えていくことは重要なことだと考えています。

 人の限界に対して人間同士の協力は大切ですが、それでも足りないこともあります。この事実を伝えるためにイエス様は「盲人がもう一人の盲人の道案内をすることが出来ません」とおしえて います。私たちを助けるために神の子が人間になってくださいました。神様の助けによって、人は地上の生活においての問題を解決する力を得ることができ、また自分の永遠の運命に関する光を得ることができるのです。

 8月15日は教会で「マリア様の被昇天」の祭日になります。マリア様は地上の生活を終えた時に魂も身体も天国にあげられました。この出来事は、イエスの復活と並んで、人生の目標は天国に入ることであり復活することであるということを示しています。そして、8月22日は「天の元后聖マリア」の記念日です。天にあげられたマリア様が地上にいる私たちを母の心をもって守ってくださるという意味です。様々な危険にさらされている私たちは常にマリア様の保護に頼ることができるのです。だから、不安に思ったり心配するよりも、マリア様への「わたしたちをお守りください。」というお祈りを大切にしていきましょう。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年07月園長コラム

暑い日が続く7月になりました。セミの鳴き声が聞こえるようになって、園庭のプールでも子どもたちが水遊びを楽しむ季節となりました。

最近、交通事故などで子どもたちの尊い命が失われたというニュースが続いています。幼稚園でもどのようにして子どもたちの安全を守ることができるかということが課題となっています。一方、今まで幼稚園で行っている園外保育などの活動は教育のために必要で、取り消すことはできません。それらをより安全に行うことが出来るように取り組んでいきます。

子どもたちの安全を考えることは、広い視野で子どもたちの未来を考えるきっかけになります。子どもたちの健康や無事は大切ですが、第一歩にすぎません。心を脅かす色々な危険が、子どもたちを取り囲んでいるのです。残念ながら今の日本で、学校の中や社会あるいは家庭内で居場所を見いだせない子どもが深刻な問題を起こしていることも事実です。多くの場合、幼児期ではなく成長してから生じますが、心の健康を保つためには幼いころからの教育が重要だと思います。つまり、もっとも大切なことは、人は誰でも唯一の存在であり、神様に愛されているということです。神様の愛を理解するために、それぞれの家庭の中で、また先生たちや友だちから受ける具体的な体験が大切になります。また心の健康を脅かすのは、外側の環境だけではなく、人が自分自身の中に持っている欲望や憎しみや色々な醜い心なのです。心が健康に育つために、人は自分自身を清めなければなりません。そのためにわがままを捨てたり、人を優しく受け入れたり、色々なものへの執着を乗り越えるための教育が幼いころから必要となるのです。このことはイエス様の教えの中で繰り返し言われています。“隣人を自分のように愛しなさい” それは、隣人のためだけではなく、自分自身のためです。「愛に満ちた心」こそ強い心であり、自分に降りかかる色々な困難や問題を乗り越える力を持っている心なのです。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年06月園長コラム

6月になって、夏が近づくと田んぼに植えられた稲が伸びて、園庭に子どもたちが植えたピーマンやトマトの苗の枝もしっかりして花を咲かせています。春に咲いていた多くの花はしおれてしまいましたが、かわりに実がつき始めた枝が見られるようになりました。

6月には、教会でイエスさまのみ心の祭日を迎えます。(今年は6月28日にあたります)。み心とは、わたしたちを悪から救い出すために十字架で刺しつらぬかれたイエスさまの心のことです。ここに神様の愛があるのです。つまり、わたしたちを悪から救い出すために、イエスさまが自分のいのちを捧げてくださったのです。イエスさまは神様の心を教えるために、「放蕩息子」のたとえ話を語りました。

お父さんの財産を持って出かけた息子が、遠くに行ってそれを無駄使いしてしまった後で家に帰ってみると、お父さんは、いなくなってしまった大事な子どもに再会できたので、大いに喜んで宴会を開きました。

このたとえ話から、神様はわたしたち一人ひとりを唯一の子どもとして愛してくださり、それぞれの幸せを望んでくださる方だということがわかります。

また6月は、父の日を迎える月です。父である神様の姿を思いながら、父の日を迎えましょう。父親にとって、子どもはそれぞれ唯一の存在です。たとえ多くの子どもがいるとしても、一人ひとりが自分の名前を持っている唯一のいのちです。お父さん達には人間としての弱さや限界があるかもしれませんが、本来神様のような心を持っているのです。父の日に、お父さんに感謝の気持ちを伝えることはふさわしいことだと思います。

子どもたちは親の愛情に満ちたあたたかい環境の内で立派に成長することができるのです。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年05月園長コラム

 街のあちこちで色とりどりのバラの花が咲く5月となりました。5月はお母さんの月です。十戒の中の一つに「父と母を敬え」とあります。子どもを育てる上で両親はとても重要な役割を果たしています。ですから常に両親への感謝の気持ちを忘れてはなりません。「母の日」を通して子どもたちにとってお母さんがどれほど大切な人であるかを改めて思い出しましょう。毎朝園庭でお母さんから離れられなくて泣いているこどもの姿を目にします。お母さんの大切さがよく伝わる光景です。もちろん少しずつ社会に慣れていくことは必要なことですから、幼稚園で先生やお友達と過ごす時間を増やし、お母さん以外の人と関わりを持っていくことは子どもの成長にとって必要なことです。

 5月はマリア様の月であり、毎年幼稚園ではマリア祭が行われます。2000年以上前の5月31日天使ガブリエルからイエスの母になると告げられたマリア様が、自分よりも半年前に奇跡的に子どもを身ごもった親戚で高齢のエリザベトを訪問したことが始まりです。マリア様がエリザベトを手助けするために訪問したことは、マリア様が思いやりに満ちた方であることを表しています。聖母月(=5月)を迎え、マリア様が「お母さんの心」で私たちを守り助けてくださることに感謝し、またマリア様から思いやりや助け合う心を今一度習うひと月としましょう。

 特に天のお母さまであるマリア様が、幼稚園の全てのお母さんたちを守ってくださるようにお祈りしています。

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2019年4月園長コラム

みなさん、進級・入園おめでとうございます。

 4月は新しい出発の月です。長い冬の間眠っていた自然が目を覚まし、若草が芽生えいろいろな草花が咲いて、暗い景色からきれいな鮮やかな景色に変化するこの時期に、教会ではイエズス・キリストの受難と復活を祝います。イエスは最後の晩餐で間近に迫った自分の死の意味を伝えるために「わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書15章12~13節)と言われました。イエスはこのように私たちを愛していたので、十字架上で苦しい死を迎えてくださったのです。そして、3日目に死者の中から蘇ったのです。イエスの復活は愛である神様の力を表しています。この受難と復活の出来事が、全ての人に大きな希望をもたらし、教会の存在とそのすべての活動の礎となっているのです。

 キリスト教に基づいた聖園幼稚園の教育方針はまさにここにあるのです。つまり、人間にとって最も必要なことは“愛”なのです。またこの愛は、人の“力”になるのです。

 新しい年度が始まると友達と一緒に遊ぶことを楽しみにしている子もいれば、お母さんから離れられず泣き出すお子さんもいるでしょう。それぞれのこどもの姿を理解して温かく受け入れ、こどもたちの心に“愛”が育まれるよう教職員一同努力してまいります。この1年が楽しく子どもたちの成長に役立つ一年となりますように、心からお祈りしています。

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2019年03月園長コラム

3月になり、日々暖かく自然が春の訪れを感じさせてくれます。木の枝の小さなつぼみが膨らみあと少しで春本番が来ると表しているしるしです。

3月は卒園の月です。ここで3年余りを過ごした年長組の子どもたちは、この園を離れて新しい出発の時を迎えます。日本のことわざで「三つ子の魂百まで」とある通り、この幼い時期はただ大きくなるのを待つのではなく、人生の土台を築く大切な時期なのです。聖園幼稚園とその職員を信頼し、お子様にとってこの大切な時期に幼稚園に預けてくださった保護者の皆様に感謝しています。2月に行われた生活発表展では、年齢ごとの子どもたちの成長に皆さんも気づかれたと思います。年中児・年少児にとってはこれからの成長がとても楽しみです。

卒園してこれから小学校に入学する子どもたちとそのご家族にとって聖園幼稚園で学んだこと、つまり〝神様を大切にすること〝〝神様がおつくりになった人を愛すること〝はこれからの歩みの力になると思います。
卒園する子どもたちも園に残る子どもたちも、これからも本当の幸せに満ちた人生に恵まれますようにお祈りしています。

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年02月園長コラム

2月5日は1597年に長崎で処刑された日本二十六聖人の記念日です。豊臣秀吉の命で都と大阪で宣教師と信徒24人が捕らえられ見せしめのために引き回された後、厳しい寒さのなか処刑地の長崎へ向かいました。途中で2名が自ら申し出てそれに加わり、26名が全行程580キロにも及ぶ道のりを連日裸足で歩かされました。この中には14歳のトマス小崎とその父ミゲルも含まれていました。長崎へと向かう途中の1月19日に尾道を出て三原城に泊まった一行の中のトマス小崎は牢番の親切で紙と筆を手に入れることができ、母と幼い兄弟に向けて手紙を書いています。この手紙は父ミゲルに託されましたが京都に届けるすべもなく、父ミゲルはこれを懐に入れたまま殉教しました。その後血に染まった手紙がミゲルの遺体から見つかりました。この手紙は当時長崎にいたポルトガル人司祭がポルトガル語に訳しローマのイエズス会本部に送り、今でも保管されています。14歳のトマス小崎はこの手紙の中で永遠の命の信仰をあらわし、犯した罪を深く悔い改め、勇気をもって死に向かい、再び天国で会えるように信仰を保つよう母を励ましています。  この26名は日本で初めての殉教者で、16世紀から18世紀の半ばまで日本でキリストのために命を捧げた多くの殉教者の初穂となったのでした。状況が変化し、信仰の自由が認められているこの現代社会で殉教者のことを思い起こし、学ばなければならないことが多くあります。トマス小崎は手紙に「人々からのどのようなことに対しても忍耐し、大きな愛徳を持つようにしてください。」と書いています。これは「敵であっても隣人を愛しなさい」というイエスの教えの実践をあらわしているのです。様々な場面で愛をもって接することが難しい時でも、「人を愛する」こと。この愛に満ちた生き方は、今の生活の中に本当の幸福をもたらし、また天国の永遠の幸福を約束するのです。この愛の教えは子どもを育てる上で大切な核となるのです。

今、園児たちは生活発表展に向けて絵を描いたり粘土などで制作物を作ったりしています。私もみんなの頑張っている姿をクラスに入って見ています。作ることによって子どもたちは自分自身をその作品に表現しています。また作業を進めていく中でハサミや縫い針を使うことは自分の集中力を養うことにも通じます。今年も生活発表展を楽しみにしています。 

園長 アルナルド・ネグリ

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2019年01月園長コラム

新しい年のはじまりは、神様から私たちに与えられた時間について考えるよいきっかけになると思います。特に子どもたちにとっては、幼稚園で過ごす一年一年がとても大きな成長へと導く大切な時間となるのです。

12月に行われたクリスマス会の中での楽器の演奏や合唱・劇では、継続的な取り組みによって成された子どもたち一人一人の成長が表れていました。聖劇で声を揃えて言う聖書の言葉が印象的でしたが、最初の練習では1行を覚えるのが大変だったÅさんも毎日繰り返し練習することでとても長いセリフを覚えることができました。家に帰っておうちの方とも練習をしていたと聞きました。そういった家族の皆様のご協力にも大変感謝しています。

植物や動物の場合は自然の中で時間がたてば成長しますが、人間の場合は違います。人が持っている秘められた可能性は教育として育んでいくことが必要です。教育という言葉は英語でEDUCATIONです。ラテン語のE-DUCEREエドゥチェレ「外へ導く」という言葉が語源となっています。つまり教育とは、人が内に持っていることを外へ出すように導く事なのです。家庭と学校における役割はちょうどこの点にあります。親をはじめ教育者は子どもに関して自分が思っている姿を押し付けるのではなく、子どもが持っている秘められた可能性を外に引き出す手助けをするのです。

この新しい年にも、神様から私たちに時間という賜物と様々な機会が与えられます。それをきちんと見つめて、継続的になおかつ有効的に過ごすことができる一年となりますように…。

皆さん、新年おめでとうございます。

園長 アルナルド・ネグリ

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